「承認欲求」という言葉は、SNSが流行りだしてから特によく聞くようになりましたね。
認めて欲しい!褒められたい!必要とされたい!凄いねって言われたい!
そういう欲求のことです。
この「承認欲求」は、だいたい「良くないもの」として勝たられることが多いと思います。
実際「承認欲求」が強すぎる人は困ったことになってることも多いですよね。
「承認欲求」って、ほんとに悪いものだとおもいますか?
どう扱っていけばいいんでしょう?
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承認欲求は悪?
私の考えとしては「強過ぎる承認欲求は、悪いもの」です。
そして「承認欲求は、誰でも持っているもの」であり「自分で頑張って捨てるべきもの」だと思っています。
なぜなら「承認欲求」が強すぎると、自分自身の幸せから遠のいてしまうからです。
「強すぎる承認欲求」の正体
「認められたい!褒められたい!」は、ほとんどの場合、主語が「親に」というところから始まってます。
子供の頃に「親に認められたい」「親に褒められたい」という思いで色んなことを頑張った、その時の感覚のまま大人になっている場合が多い。
学校に行ったらまた「先生に褒められる」を頑張ることで「親に褒められる」を目指して、良い子になろうとしてきましたよね。
大人になると、「褒められる」「認められる」「合格」が曖昧になってきます。
目に見えてそれが分かることが減ってくるのです。
だから、簡単に分かりやすく「認められた!」という感覚が得られるものを求め続けてしまう。
それが、「強すぎる承認欲求」です。
承認欲求が強いと、幸せになれない
子供の頃の場合は「お菓子を食べたい」を我慢して褒められたり、「遊びたい」を我慢して勉強して褒められたりしてます。
これがそのまま大人になったら「自分がしたいこと」を我慢して「褒められそうなこと」をするようになってしまう。
「バンドをやって音楽を作り続けたいのに、良い大学に入るために必死に勉強漬けの日々を送る」とか
「世界中を旅行して友達を作って体験記を出版したいのに、お金持ちだけど束縛が激しい人と結婚して専業主婦になる」とか
「ラフな格好で友達と話してるのが1番幸せなのに、ブランド物を買うために派手な格好で働く」とか
「漫画家になりたいのに、大企業に務めて長時間働く」
という生き方をしてしまうんです。
やりたい事しないと達成感がない
他人がどう評価をしようが、あなたの人生はあなたが思うように生きていい。
自分が「これだ」「あれをやってみたい」をやってこそ、あなたは生まれた意味を感じられるんです。
自分で考えて、自分が望んだことで成功するからこそ、自信になるんです。
なのに、他人が望むことをやりつづけてしまう。
気づいたら、やりたいことをやってない人生を歩いている。
他人の目を気にしてモヤモヤする時間を過ごしている。
それが「承認欲求の恐ろしさ」です。
承認欲求を捨てるには
「承認欲求」を捨てるのは、簡単ですが時間がかかります。
やることはひとつ。
「誰のために?」「何のために?」と自分に質問してみて、その答えに「他人」が入ってくるなら、考え直すこと。
例えば
「この服が欲しい」→「なぜ?」→「流行ってる(皆がいいと言ってる)から」「彼が好きそうだから」「あの人も着てたから」
の場合は、考え直しましょう。
「この服が欲しい」→「なぜ?」→「自分に一番似合うと思うから」「着心地がいいし、好きな形だから」「ちょうど必要だと思ってたから」
なら、OKです。
選択するときの理由に、他人を入れないこと。
他人がどう思うか、他人がどうしてるか、前例があるか、そういう考えが浮かんだら、捨てること。
それを続けていくうちに、少しずつ承認欲求は消えていってくれます。
そして、勝手に楽しいことが出来るようになって、勝手に自信がついて、勝手に自分のやりたいことが見えてきます。
試しに、自分に聞いてみてください「何故それを選ぶのか」。
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